2006年08月15日
一五一会(音来・奏生)の一考察

お盆休みということで、一五一会の練習をしておりますが上達の実感が得られないのはなぜかと考えてました。
弾いてみると一~五のポジションをポロンとセーハして弾くだけではおおまかなメロディラインでしかなく曲としてのメロディは弾き得ないということを今更ながら、感じております。
下の一五一会用楽譜を見ればわかるように一~五のポジションの表記しかないので当たり前ですが。
そんなことは分かってるよと言う人もたくさんいると思いますが、楽器をやった経験のない人は勘違いしやすいことと思います。

高度なテクニックを使えば別でしょうが、一五一会はあくまでも「伴奏楽器」であるということです。
主役はあくまでも「歌」です。
歌とこの楽器がなければ成立しないということです。
この楽器を弾くことのみで楽しもうという人は、まず楽しむことはできないかも知れません。
楽器初心者が、うたい文句が「世界一簡単な楽器」ということで簡単に購入する前にちょっと考えてみてください。
ということで、購入を考えている人は、歌うことを前提として、伴奏楽器として購入を考えるべきではないでしょうか。

三線も唄三線といわれるように、あくまでも唄が主役であり、伴奏楽器という位置づけです。
三線は一弦一弦弾く楽器なので、メロディーラインもはっきりしており、三線だけでも曲として成立します。
三線は、フレットが無くこのようにポジションシールを貼ったりしますが、工工四(楽譜)を体で覚えて唄う楽器だろうと思います。

さてこれから、終戦記念日ということで、戦争で亡くなられた方々を想い、もの悲しい「屋嘉節」を弾こうと思います。
チャンチャンチャラララーン、チャラララーン、チャラララーン。
なちかしや沖縄(ウチナー) 戦場になやい 世間御万人と 涙ながち....
Posted by 娯櫓助 at 10:49│Comments(0)
│音楽(三線・一五一会etc)
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